みんなから好かれたい!みんなに嫌われたっていい!どっちがいい?
みんなに好かれたいという気持ちは、きっと誰にも持っているし、
それ自体は、そんなに悪いことでもないと思う。
でも、程度が行き過ぎてしまうと、
それは、自分自身の首を絞めてしまいかねない。
なぜなら、みんなに好かれたいという気持ちが強すぎると、
みんなの気持ちが気になりすぎで、人に合わせた生き方になる。
でも、「みんな」は、一人一人考え方が違うから、全員に合わせた生き方は出来ないし。
そもそも、相手の心の内を全て読むことは、不可能だ。
とすると、好かれたいと思う気持ちから動く【行動】によって、
相手に逆に嫌われてしまうこともある。
そのことで、大きく自分が傷ついてしまう。
一方で、私は、アドラー心理学の【嫌われる勇気】という本を読んで、
心理学に興味を持ったのですが。
これを読んでこんな風に思う人もいるようです。
そうか、【大切なことは、自分がどうしたいかだ!】
ここまでは、良いのですが。
そうか、【自分勝手に自由にやっていいだ!】
自分勝手に自由にというと、それによってみんなが迷惑したとしても、
そんなことは、私に関係ない。
だから、嫌われる勇気なんだ。という解釈になってしまう。
もし、そんなことをしていたら、本当に自分勝手に自由に生きれるでしょうか?
きっと本当にみんなに嫌われてしまい。だれも、その人に関わらなくなるかもしれません。
むしろ、もっと制限された生活。生きにくい生活になりますよね。
過剰になれば、仕事が出来なくなり、そもそも生活が出来なくなるかもしれません。
こんな感じで「嫌われる勇気」という言葉も、
飛躍してしまうと、違う意味になってしまいます。
では、好かれようと思っても。それは、自分を傷つけてしまう。
嫌われてもいい!自分勝手でいいんだ!・・・をすると、それはそれで生活がしにくくなってしまう。
じゃあ、どうしたらいいのか。
ということですが。
アドラー心理学では、【共同体感覚】という言葉があります。
共同体感覚とは、その組織にいるという【所属感】を言います。
そして、共同体とは、1人1人というよりは、まとまった全体を意味します。
人間は、太古の時代から1人で生活することは、していませんでした。
というより人間は、1人では、生きていくことが出来なかったのです。
その為、生きるためには、自分ひとりの為に行動するのではなく、
その【共同体】にみんなが貢献しあうことで、みんなが生き抜くことが出来た。
ということです。
人間の脳の中には、自分がやったことに対して、
誰かが喜んでくれると、自分がうれしい!と感じる
ように出来ていると言います。
そういった意味では、これは、人間が生きていくために、
必要な本能なんだろうと思います。
とすると、人間の行動指針には、その共同体に自分が何ができるか?
という欲求が、生きるために刷り込まれているのではないでしょうか。
そう考えると。
みんなに好かれる為に何かをするのでもないし。
自分勝手でいい。人に嫌われてもいいんだ。というのも違うわけです。
そこには、きっと考える考えないというレベルではなく。
その人の本能として、誰かに貢献したいという欲求があるのだと思います。
自分自身が、自由に幸福に生きるためのヒントは。
誰かに、好かれる為には?
嫌われない為には?
を考えるよりも。
その共同体にとって自分が何ができるか?
を考えることが、大切なのかもしれませんね。