やりたいけど、続かない・・・
子供が習い事をしているのですが、
家でもその練習をしなければならない。
でも、家では全く練習をしない。
他の子は、毎日家で練習しているのに、
うちの子は、全然練習しない。
そんな子供を見た時。
あなたらならどうしますか?
「あなたは、やる気がない!」
「やる気がないならやめなさい!」
「好きじゃないから続かないのよ!」
と、一刀両断するのは、簡単ですが。
私は、それをしてしまったらもったいないな〜と思います。
子供に聞くと、本当はその習い事を続けたいんだ。
でも、毎日練習することは出来ない。忘れちゃうんだ。
と、いう。
親は、子供が好きなこと得意なことを伸ばしてあげたいと思う一方。
一体自分の子供は、何が好きで得意なのかが、よくわからない。
ということもよくあります。
単純に、何か一つのことにはまって夢中になっている子供であれば、
わかりやすいですが、全ての子供がそんなことは、ないわけです。
私自身が、そんなに凝り性ではないので、
その気持ちは、よくわかります。
じゃあ、何か一つのことにはまっていないことは悪いことなのか。
というと、私は全然悪いことだと思っていません。
誰しもが、イチローのように一つのことを極めて、
世界で戦えるようになるかというとそういうわけではないと思うのです。
例えるなら、身長150㎝の人が、バスケで一流選手になるよりも、
体操で、一流選手になる確率の方が、高いわけです。
日本人は、和を好み空気を読み細やかなことは得意と言われますが、
議論が苦手だと言います。
何が言いたいかというと。
その人その人の「特性」が必ずある。
ということです。
それは、身体的なことなのか。
それとも、精神的なものなのか。
様々な要素から私たちの思考や特性が生み出されているのだと思います。
そういった意味では、その人の「特性」に合わせて、
物事を取り組むこともすごく大切なことだな〜と思います。
そして、何かに「はまる」ということも、
実は、人によってその過程や形が異なるんだろうなと思います。
だからこそ。大切なのことは。
その子供の意思がどこにあるのか。
をきちんと見ること。
一見、他人から見た時に、やる気がなさそうに見えたとしても、
その子の心のうちは、私たちからは見ることは出来ません。
見ることが出来ない以上、もし「やりたい」
という言葉が、出てくるのであれば、その言葉を信じてあげる
ことが大切なのかなと思います。
そして、問題なのは「続けることが出来なかった」ことであり、
それについては、どうしたら続けることが出来るようになるのか。
を、一緒になって考え続けることが、もっとも大切なことだと思います。
「続けることが出来なかった」→「あなたは、やる気がない!」
もし、こういう図式を作ってしまったら、
私は、続けることが出来ない人なんだ。という思考回路を作りかねません。
根本に「やりたい気持ちがある」
だけど「続けることが出来ない」
のであれば、「やる気がないのね」といった精神論ではなく。
「やり続ける技術」がまだ、もっていないのね。
という風に見てあげるのは、どうだろうか。
やり続けることが、出来るのは、才能でもやる気でもなく。
「技術」
と捉えることができれば、
その「技術」を磨くことができれば、
それは、どんなものにも活用することが出来る。
素晴らしい能力になるのではないだろうか。
そして、「技術」として捉えることができれば。
子供に対して「あなたは、どうして出来ないの!」
とは、言わなくなりますよね。
そうか、「まだ、やり方がわからないのね。」
だったら、一緒に考えてみようか。とか
その技術をもっと高めていこうか。とかには、ならないだろうか。
それに、この方が、お互いにすごく居心地が良いですよね。
こんな話を、子供にしていたら、
急に「なんだかワクワクしてきた〜!」と言い出して、今日は寝ました。
どんな時も、失敗を悪者にしない。
失敗いっぱい大歓迎!どんなに失敗しても「出来る」と思ってやり続けること。
「どうしたら出来るかな」と考え続けること。
そんな風にこれからも子育てができたらいいな。