連帯責任ってどう?
子育てをしていく中で、こういう言葉を聞くことはないだろうか。
『それが出来なかったのは、連帯責任だから、全員がペナルティを課します。』
最近、うちでこの連帯責任とう言葉が出てきたので、
少し考えてみた。
果たして連帯責任とは、良いものだろうか?
悪いものだろうか?
なんとなく気持ち悪さはあるものの、
すぐに自分の頭の中で論理的な説明が、バシッと出てこなかったんです。
こういうことを考えるときに、【いじめの問題】や【ダイバーシティ(多様化)】の
観点から考えるのも良いかもしれませんが。
迷った時に、指標となるのがアドラー心理学の目標かなと思いました。
この【目標】に沿ったものなのかどうかという点です。
アドラー心理学では、次の目標を掲げています。
「行動面の目標」
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
「この行動を支える心理面の目標」
①わたしには能力がある、という意識
②人々はわたしの仲間である、という意識
そして【連帯責任】をさせる側は、どのような意図があってするのかも考えてみた。
①自分が思っている通りに行動してほしい。
②子供たちが、お互いに協力しあう関係を築いてほしい。
①⇒は、マイナス的な発想で、短絡的に子供をコントロールしたいという理由。
これはもう、子供を育てるという観点ではないですね。
②⇒は、プラスの発想で、連帯責任を生むことで助け合うという気持ちがわき、
仲間意識・助け合いの意識を生むために行う。
こんな感じでしょうか。
では、②は実際のところどうなのでしょうか?
こうした気持ちで、連帯責任を肯定的にとらえ教育やスポーツの世界で使っていることは、
意外と多いような気がします。
私が出した結論としては、正直嫌だな・・・・なぜかというと。
アドラー心理学では【褒めるな!叱るな!】という話があります。
これは、なぜ。こうしたことを言っているのかというと、こうした言葉がけをし続けると、
他人(親も含めて)の人生を生きてしまう危険性があるからです。
「褒められたからやる。褒められなければやらない。」
「叱られたからしょうがなくやる。」
一見、表面的にはやってほしいことをしてくれているので、良い事のようにみえますが、
それが、過剰すぎると他人の目ばかり気にする子になってしまうということです。
そこで、【連帯責任】の話しに戻りますが、
もし【連帯責任】だから、そのことが出来ない子に手助けをすると考えてしまった場合。
【連帯責任】でなければ、私は関係がないから、その子が出来なくても手助けをしない。
となる危険性があるのでは?という事です。
そうなると、本当の意味での仲間意識だったり自立というものには、
異なる方向にいってしまわないだろうか?
もし、本当に【仲間】であれば、それが連帯責任だろうが、連帯責任でなかろうが。
褒められるかとか褒められないとかなんてものは、どうでもいいわけで。
そこにあるのは、目の前の仲間を助けたいという【気持ち】そのものです。
そして、その【気持ち】そのものが、【自立】を生み、
本当の仲間意識を生むのではないのかなと思います。
その【気持ち】を育むのが大切であるわけで、その為の手段としての、
連帯責任ということであれば、ちょっと違うのでは?と思うわけです。
連帯責任・・・・皆さんはどう思いますか?