人生の「正解」を誰かに求めるな!

たまに、自分の人生における正解を誰かが持っていて、
その正解を、誰かにもらえると思ってるんだろうな~という人をみかけます。

本を沢山読んでいる人
いろいろなセミナーに沢山参加している人
そういう人に限ってそうだったりもします。

おそらく、一生懸命「正解」を探しているんだろうと思います。

場合によっては、「分かった気」になって
「知っている」自分に対して優越性を感じる人。

あいつは、知らないけど
「私は、知ってるんだぜ」

こういうのを、
「優越コンプレックス」と、言うらしい。
はたから見た時は、強そうに見えるけど、
実際は、すごく劣等感の固まりだったりするわけです。

おっと「優越コンプレックス」話になりそうだ(^^;

今日のテーマは、
人生の「正解」とは?

ということについて、考えてみた。




結論は、「正解」なんてないよね・・・以上。




で、終わりなんだけど。
それだと寂しいから、解説しようと思う。


まず、なぜ人生の「正解」を求めるのか。
というと。


私たちは、人間である以上
常に、「不安」や「心配」「悩み」を常に抱えているから、
それを解消してHAPPYに暮らしたいわけです。

だから、そうした悩みを解決出来る物を探してしまうのだろうと思います。

ある人は、「お金」が問題だと思えば、「投資の勉強」
ある人は、「人間関係」だと思えば、「心理学・宗教・哲学」など

そうした勉強会にいき「正解」を求めに行くわけです。


では、そこに「正解」はあるか?
というと、残念ながら「正解」なんてないんです。

正解を求めていくと、
もし、あるとするとそれは「正解」ではなく、
「正解」という名の「依存」です。


自らの思考を停止して、ただ「依存」することで、
「正解」にしてしまう。ということ。


残念ながら「依存」からは、本当の幸福を感じるのは難しいと思います。
「依存」についての話は、割愛しますが。


私達は、こうした仮想の「正解」に依存しやすいとも言えます。


なぜか?

それは、私たちは
「出来ると思っていることしか、やらない行動しない」
習性があるからです。


例えば、
「自分は絶対に東大には合格出来ない」
と信じ込んでいる人は、そもそも東大の勉強はしません。

「自分は、絶対にプロ野球選手になれない」
と信じ込んでいる人は、プロになるための計画やトレーニングはしません。

確かに「東大」や「プロ野球選手」になれるかどうかは、
分かりませんが。

少なくとも「東大」に行くためには、「東大」行くための勉強をしなければいけないし、
「プロ野球選手」になるためには、その為のトレーニングは絶対に必要です。

でも、それをやらなかったら、
絶体に「東大」にいけないし「プロ野球選手」にもなれないわけです。

逆に、やることができたら、
「東大」や「プロ野球選手」になれるかも。
しれないわけです。

しかし、私たちは、
「出来ると思っていることしか、やらない行動しない」
習性があると、言いました。


「東大」や「プロ野球選手」になれるかどうか。
ということに対して「正解」があるか?

といったら、それには正解はないですよね?
なぜなら「定員」があるから、必ず誰かは「落とされる」
どんなに頑張っても落ちる人がいる

そうすると「どんなに頑張っても落ちるかもしれない」わけです。
そう思うと、出来ると思えるかどうか?
と言われると、それは確実に出来るとは思えないわけです。
事実、落ちる人がいるわけだから。

だから、「やらない」という判断をする。
というのがほとんどの人ではないのかな?と思います。

だから、様々な勉強をして「仮想の正解」を求めてしまう。
仮想であれ正解だと言ってくれれば、行動に移しやすいですからね(^^;

今回は、わかりやすく「東大」や「プロ野球選手」としていますが。
人生のありとあらゆることにいえることだと思います。

と、いうことは未来のことに「正解」を求め、「正解」を見つけてから、
動こうとしている人は、身動きが取れなくなってしまう。
なぜなら、「未来」は不確定だから。

未来に「正解」求めようとしても「正解」がないので、
「不安」や「心配」「悩み」を消し去る方法なんてないんですよね。

むしろ、その正解を、ほしがろうとすればするほど、ドツボにはまるわけです(^^;



じゃあどうしたらいいのか?



という「正解」が、ほしくなりますね(笑)

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